4479忠海港東防波堤灯台

忠海中町の常夜灯/忠海町床浦の常夜灯

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大久野島(を経由して大三島の盛港)へ行くフェリーが発着する忠海港。港のそばにはフリーの駐車場もあってありがたかったのですが,フェリー乗り場の乗船券発売機には「大久野島」という文字がなく「うさぎ島」としか書かれていないので戸惑ってしまいました。フェリー乗り場の周辺にも「うさぎ島」の文字が氾濫しています。そんなこんなで灯台の根元まで行くつもりが時間がなくなってしまい,慌てて灯台の姿を収めましたが,午前中は港の内側からは【4479】忠海港東防波堤灯台は逆光になってしまいます。

フェリーが出港して港の外側から忠海港を一望したところ。中央に見える橋の左たもとに忠海中町の常夜灯が見えています(上)。【4479】忠海港東防波堤灯台は灯塔の途中,制御室の高さから塔頂に向かって細くなるという,ちょっと変わったデザインです(下左)。

2017/10/11

港の片隅に立つ忠海中町の常夜灯。出港前に寄りました。背後に【4479】忠海港東防波堤灯台が見えています(左上)。資料によれば,竿の東面(左上の左側)には「天地海童一切諸神」,北面(左上の正面)には「文化十三年/丙子九月吉日」という建立の日付と勧進元の名前,西面(左下の正面)には「諸天諸菩薩」,そして海に面した南面には「金毘羅大權現」と書かれています(右はフェリーから撮影)。文化13年は1816年ですからほぼ200年前に建てられたということになります。

2017/10/11

忠海にはもう一つ常夜灯があって,こちらは港から少し離れた床浦神社の西側にあります。大久野島から帰ってきてから訪ねました。石造の鳥居の先に防波堤がカーブして伸びたその先端に立っていて(上左),竿の陸側には「献燈」,基台部には「賀茂郡/川尻浦/白石屋」と刻まれており(上右),竿の海側には「文政十二年/丑三月吉日」と入っています(下左)。下右は床浦神社を海側から見たところですが,階段に建てられた解説板に「文化8年予州松山侯(候は誤り)より常夜燈を奉納された」と記載されています。神社の写真には手前に大振りの石灯籠やその奥の石段の両側に石灯籠が写っていますが,これらはいずれも新しいもので,伊予の殿様が奉納されたものは失われているのかもしれません。床浦の常夜灯は「備後の常夜燈アルバム」というサイトを参考にして訪ねたのですが,このサイトには予州松山侯が奉納したという常夜燈についての記載はありませんでした。

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