ボスフェラス海峡

N4938 Kuruçeşme/N4938.3 Çengelköy
N4940 Arnavutköy (Akıntı Burnu)/N4946 Aşiyan Burnu

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ボスフェラス海峡クルーズで見た灯台たちです。緑帯1本〜3本のものがヨーロッパサイドに,赤帯のものがアジアサイドに建っていました。

2010/11/21

【N4938】Kuruçeşme灯台。海峡クルーズでのんびりしていたら,突然目に飛び込んできた灯台です。それ以後,歴史的建造物やらの話には耳も傾けず,灯台ばかり探す羽目になりました。もっともトルコは寺院の塔などがたくさんあって,どれが灯台やら,遺跡やら。

2010/11/21

【N4938.3】Çengelköy灯台。赤帯のものはアジアサイドで,1基しか見つかりませんでした。アジアサイドなので,第2ボスフェラス大橋の手前で折り返して出発地に戻る帰りに接近したところで撮影しました。バックに写っているのはレストランらしく,その庭先に立っているように見えます。

2010/11/21

【N4940】Arnavutköy (Akıntı Burnu) 灯台。現在この灯台の画像をネットで検索すると似ても似つかない姿のものしかヒットしませんが,私たちの訪問後LED化するに伴って大幅な改修がなされたらしく,緑帯の上あたりから大きな円筒形の構造物が取り付けられ,たいそう頭でっかちな姿になっています。2012年の写真を見ると,周辺はまだ整然としていますが,灯台の姿はすでに変わり果てています。この写真を紹介しているサイトのサムネール画像だけが,「砂時計型」と紹介されている,ここに掲げったものと同じ姿でした。しかしそのネットの画像をよく見てみると背景の建物がここに掲げた写真とほぼ同じであること,灯台の足元から緑帯までのあり様も合致していることから,【N4940】で間違いないと同定しました。訪問時の写真ではきれいな街並みが写っていますが,現在(2016)の様子をストリートビューで見てみると,周辺はごみが散乱し放棄された大きな物体が灯台を取り囲んでいて,とても同じ場所だとは思えないありさまでした。訪問からこの記事を書いている現在まで6年ほどですが,その間の荒廃振りは,世界情勢の悪化に伴うものでしょうか。当時,案内してくれたガイドが「トルコは人口の大半が若者で,農業や漁業はもちろん鉱工業も発展してきており,これからはどんどん豊かになっていく」と自信にあふれた様子で語っていましたが,昨今のニュースを聞くにつれ,彼はどうしているかと思わずにはいられません。

2010/11/21

2010/11/21

【N4946】Aşiyan Burnu灯台。左の灯台の上の要塞は,ルメリ・ヒサルというオスマン帝国時代の城塞で,右奥に第2ボスフェラス大橋の橋脚が見えています。ボスフェラス海峡クルーズはこの先で折り返して,アジアサイドを出発地まで戻ります。

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