花の名前 蓋の模様 灯台の形 彼方より 彼方へ

旧蜆川灯台/権現岬の常夜灯

 

 前の灯台    ホーム  灯台の形 / 保存灯台,灯明堂等  いつかの灯台  下へ   次の灯台 

2019/10/04

2019/10/04

2019/10/04

2019/10/04

【旧蜆川灯台】衣浦湾の出口近く,権現崎灯台公園という小さな公園に旧蜆川灯台と権現岬の常夜灯(の宝珠)が保存されています。灯台のねもとに由来を刻んだ石碑が立っていたのだけれど気が付かずアップで撮り損ね写っていたのを無理やり拡大してみましたが(上右),これではほとんど読めません。帰宅後ネットで石碑の写真をアップされているのを見つけたので,その要旨を転記すると「1822(文政5)年建立された常夜灯(その後地震で倒壊,常夜灯については後述)に代わって,昭和8年に初代蜆川灯台建設,昭和29年改築後,昭和51年廃止」。初点プレートも灯台名以外ほとんど読めませんが(下左)「初点 昭和4年7月拾五日/改修 昭和弐拾九年参月拾五日」と書かれています。初点の年が上記石碑と合いませんが,1949年の燈台表には「蜆川燈柱/無看守/初点の日 昭和4年……」と記載されているので,石碑が間違いでしょう。

2019/10/04

2019/10/04

2019/10/04

2019/10/04

【権現岬の常夜灯】権現崎灯台公園を海側から見ると旧蜆川灯台の奥に権現岬の常夜灯(の宝珠部)が見えます(上左)。上右は反対に常夜灯から灯台の方を見たところ。前述の石碑やその他のWEBの記事を合わせると,「1822(文政5)年地元の漁師らにより常夜灯建立(高さ14.7メートル,火袋1.2メートル)/甲斐丸という歌人が住みつき常夜灯の灯を守り続ける/1854(安政元)年の三河地震で倒壊/のちに蜆川灯台が建設されるまで,枝の両端が20メートルを超える傘(からかさ)松と呼ばれる松にカンテラをかかげて常夜灯の代用とする」。現在は宝珠部しか残されていませんが,その大きさを見てもいかに巨大な常夜灯であったかが偲ばれます。カンテラを掲げた傘松は1934(昭和9)年の室戸台風で枯れ,その後植樹された2代目も1959(昭和34)年の伊勢湾台風で枯れて下右に写っている松は3代目とのこと。右側の大きな石碑には室町時代の連歌師,里村紹巴の句「大浜権現に こき出納涼 せし折節 三熊野の 浦風 すゝし 秋の海」が刻まれているということですが……。なかなか素敵な公園でこんなに歴史的な文化財が保存されているのに,あまり訪れる人もなさそうに思われました。

 前の灯台    ホーム  灯台の形 / 保存灯台,灯明堂等  いつかの灯台  上へ   次の灯台