3229沖港指向灯/3229.3沖港外西防波堤灯台

3229.5沖港鮫ヶ埼沖灯浮標

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上は母島の沖港入口付近です。右に【3229.3】沖港外西防波堤灯台,正面の対岸に【3229】沖港指向灯の姿を認めます。船着場はずっと左の方になります。防波堤に近づいていくと内側に小さい堤防があり(下左),その間の水路にはネムリブカという小型の鮫がたくさん泳いでいました。さらに灯台に近づくと正面に指向灯が見えてきます(下右)。

上左は【3229】沖港指向灯のアップ,上右は【3229.3】沖港外西防波堤灯台のアップです。下左に灯器のアップ,下右に初点プレートを掲げました。

港の内側から【3229.3】沖港外西防波堤灯台を見たところです。灯台は防波堤の壁の内側に立っているので外側からは灯台の上半分しか見えません。沖港に入港する時,ずいぶん背の低い灯台だと勘違いしてしまいました。

港を一回りして東側に出,都道241号線を母島観光協会(先客待合所)から1kmほど南下したところが【3229】沖港指向灯の入口です(上左)。テニスコートと東京電力母島発電所の間を入り,自動車整備工場の前を通り過ぎると母島下水処理場の建物があり(上右),その右側に指向灯が顔を覗かせています(青い↓の所)。ここから頭部をアップにしてみたら,塔頂のでっぱりは表示灯ではなくコンクリートの構造物でした(下左)。茶碗蒸しの茶碗の蓋についているつまみみたいです。この建物の前をいったん左に回り込みます(上右の黄色い←)。下水処理場の建物のまわりや処理場付近には「立入禁止」などの立て札はなにもなかったので,処理場の中を進んでいくと指向灯の入口が見えてきます(下右)。

突き当りの崖の上の坂を上っていくと(上左),鉄柵が取り付けられた門があり(上右),ここをちょっと失礼すると,灯台に到着(下左)。灯台の周囲はほとんど余裕がなく,海も見えないし,灯台の全体も撮影できません。父島では【3227】二見港丸山灯台に初点プレートがなくてがっかりしただけに,ここで初点プレートを撮影できてちょっと安心しました(下右)。

実は前日ツアーに組み込まれていたハイキングと島内観光の途中でガイドの方に指向灯のことを訪ねたら,自動車整備工場まで行って工場の方に訪ねてくださいました(母島の人口は約500人で島民はみんな顔見知りなのだそうです)。工場の方に親切に近くまで道案内していただいて,このとき指向灯を訪問,できる限りの写真は撮ったのですが,ツアーの途中であまり勝手もできないので,翌日再度訪問したのが上記です。前日の方が多少とも天気が良かったので,二日とも同じような写真ながら,ここでは前日に撮った指向灯の灯器部などを掲げました。

島内観光の一環で訪れた東港に観光ポスターなどに使われている黄色い簡易標識がありました。この東港は沖港とちょうど反対側にあるため,強風などで沖港が使えないときのための代替港として整備されたにもかかわらず,途中で計画が中止されたのだそうで,たいそうきれいな防波堤に囲まれたきれいな港なのに,全く使用されていないそうで,もったいないったらありゃしません。

母島を離れる船の上から沖港を振り返ったところです。正面に【3229】沖港指向灯,左側のテトラポッドの上に【3229.3】沖港外西防波堤灯台の上半身,その手前に緑の【3229.5】沖港鮫ヶ埼沖灯浮標が,右端に灯台表に記載のない赤い立標が見えています。

名残惜しい【3229】沖港指向灯の最後のアップです(上左右)。崖の上の少し浅い緑色がリュウゼツランの茂みです。下左は【3229.5】沖港鮫ヶ埼沖灯浮標,下右は灯台表に記載のない立標(灯標?)のアップです。

ここから父島に戻っておがさわら丸に乗り換え,24時間かけて東京へ戻ったのですが,東京から1000km南,小笠原の灯台巡り(といっても灯台1基と指向灯1基,防波堤灯台3基をあわせても5基に過ぎません。灯浮標2基,浮標1基を合わせてやっと8基に過ぎませんが)5泊6日の旅を無事に終えることができて幸いでした。父島に飛行場建設の話が持ち上がっているそうですが,片道24時間の船旅に何らかの意味があるような気がします。

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