飯田市

飯田市/(旧下伊那郡南信濃村

2015/09/15

【飯田市】南アルプスと中央アルプスに挟まれ,伊那の中心をなす飯田市が小京都と呼ばれた美しい市街の大半を失う大火に見舞われたのは戦災の傷跡もまだ癒えぬ1947年4月のことでした。市は二度とこのような悲劇を繰り返さぬために市街地を東西南北に貫く25m道路を防火帯として建設したのです。焼け跡に伸びる殺風景な道路のありさまを嘆いたとある中学校の校長が子供たちに美しい北海道やヨーロッパの街路樹のことを話したところ,子どもたちの中からリンゴの並木道を作ろうという声が上がり,無理解な大人たちの冷笑にも屈せず(共感した大人たちの協力を得て)1953年9月のある日,全校生徒1500人が25m道路400mに40本のリンゴの苗木を植えたのです。こどもたち(と支援者の方々)の努力によって今では飯田市を象徴するリンゴ並木となりました。そんなわけで,ここに描かれているリンゴは単なる名産物というばかりではなく,飯田市の人々の魂なのです。ちょっと色あせているのもあるけれど,通常型と小型にはきれいなカラー蓋がたくさんありました。ハンド−ホールも親子蓋もみーんなリンゴですが,蓋の大小によって微妙に描線を省略し見やすいように工夫されているなど,徒や疎かには作っていない気概が読み取れます。

【飯田市】卍のような市章が入った蓋たち。上の二つは用途が書かれていません。下左は消火栓,下右は止水栓と書かれています。

2015/09/15

【飯田市(天竜峡温泉)】天竜峡温泉で見かけたのですが,地名などは入っていないので,他の温泉地などにも使われる汎用のものかもしれません(雑蓋/用途別/温のページに再掲)。

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2015/09/16

2015/09/16

2015/09/16

2015/09/16

【旧下伊那郡南信濃村】飯田市に編入されたとはいえ,天竜峡を挟んで市の中心部よりかなりの距離があり,交通の便もよくないし,生活圏や文化圏が今後統合されるとは思えないのですが,合併の効用にはどんなことが想定されたのでしょうか。さて,ここに描かれているのは,かつて当地の領主だった遠山氏の居城和田城を復元した郷土資料館です。同じ城址には龍淵寺という大きなお寺があって,「観音霊水」というおいしい湧水や大杉があったりします。その和田城の足もとには旧村の鳥:ウグイスが2羽描かれています。上左が通常型,上右は小型です。下左が実物の和田城ですが,蓋のデザインにあるようなアングルで城を望める場所が見つかりませんでした。下右は旧村章の入った汚水桝です。
古い木造の小学校が大事に保存公開されていたり,一度配線になった林業鉄道を再現し,動態保存のみならず軌道を少しずつ延長していたり,南アルプスの麓にあるこの村は,蓋とは関係なくぜひもう一度訪れてみたいと思わせる,大変素晴らしいところでした。もう一度飯田市からの独立を考えた方がいいような気がします。

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