6950曽津高埼灯台

 

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2019/02/16

【6950】曽津高埼灯台。奄美大島の西端の岬の先端に立つ,奄美群島で最初に建設された由緒ある灯台です。灯台の前に案内板が設置してありました(上左の画像クリックで別窓拡大表示)。初点は明治期ですが,現在のものは案内板やプレート(上右)にある通り昭和末期に改築されたものです。灯台の奥の金網で区切られたその先にはコンクリートの土台が残っていて(下左)旧官舎跡だと思いますが,当時の灯台守の子弟は西古見の小学校に通っていたのだとか。想像を絶する苦労があったと思います。下右は海側から灯台を振り返ったところで右側にソーラーパネルが並んでいますが,これだけの電力でビーコンタイプの灯器を駆動しているのでしょうか。

あちこち見ているうちに灯器が点灯しました。点灯直後は緑色に見える(上左)光源が見る見るうちに安定して正規の白色光になっていきました(上右)。雨もよいの天候のせいか,まだそれほどの時間ではないのに薄暗くなってきたので,帰りのことを考えて早々に帰路につきました。天気は残念だったけれども,おかげで点灯している灯台の姿を見ることができて感激ひとしおでした。

2019/02/16

【6950】曽津高埼灯台への道のりです。【6952】奄美瀬戸埼灯台から延々とグネグネした海岸線を40㎞以上走り,約1時間ほどでようやく西古見の集落に着きますが,その集落を抜けて峠に向かって登っていく途中に,灯台への入口があります(上左)。草むらに地元の愛称「西古見灯台」の道標とともに白い案内板で「曽津高埼灯台入口」そして海保の名前が見えています(上右)。これはこの灯台へ行ってほしいという海保の意思表示ですよね。先人の訪問記にはここから突き当りのガードレールまで進むと簡単に記されていたので,気軽に山道に突っ込んだのですが,それが大間違いでした。昨年の台風による大雨のせいか,道がえぐられていて車の底を擦り,ルート取りをしようにも左右は藪でほとんどコースを選ぶ余地もありません。とにかく慎重に車を進めていくと途中に1カ所だけ広くなったところがあり,展望台のようになっています(下左)。そこから灯台を望むことができますが道はまだ遥か,行きどまりというのも見えません(下右)。

2019/02/16

ようやく辿り着いた林道の行き止まり(上左)。後で調べてみたら入口からここまで2キロほどしかありませんが,30分以上かかったので歩くのとほぼ同じスピードだったことになります。多分参考にした以前の訪問記の時点よりは道が荒れたのだと思いますが,最低地上高の高いジープタイプの小型車ならともかく普通の乗用車で入るのはやめた方がいいでしょう。ましてや慣れないレンタカーのシティタイプの小型車などで乗り入れるのは狂気の沙汰……といいながら,そんな車でここまでたどり着き徒歩で灯台に向かいました。ガードレールのところには「立入禁止」の文字も見えますが,その横には「灯台まで700m」という海保の案内が(上右)。これも灯台を訪問してほしいという海保の意思表示ですよね。その手前に「落石事故があっても知らんもんね」という看板もありましたが,もちろんこれから先の行動は自己責任です。というわけで崖端の道を進みます(下左)。途中灯台の姿が見えたり隠れたり(下右)。今にも降りだしそうな曇天なのに,なんという海の色でしょう。

灯台をアップで撮ってみると塀に囲まれた姿が確認できますが,灯台前の案内板によると,この塀には第2次世界大戦時に受けた機銃掃射の弾痕が残っているとか。訪問時には気が付かなかったのですが,上左の写真の元データを拡大してみると弾痕が確認できました。崖道が崩れていたり(上右)落石に覆われていたり(下左)するところはあるものの,幅は十分あるししっかりしたコンクリートの道でほとんど水平歩きなので,手すりのない崖道とはいえ足がすくむような道ではありませんでした。最後は両側が崖の痩せ尾根道です(下右)が,歩き始めて10分ほどで無事に到着。体感としては700mもあるとは思えず,帰宅後WEBの地図で計測してみたところでも300〜400m位ではないかと思います。結論として,最後の崖道よりも県道を逸れてからの2㎞ほどの山道が悪路なんてレベルではない悪路で,今までの灯台巡りの悪路の中でも最たるものだったので,よくぞ無事に辿り着き戻ってきたものだと半端ない達成感でした。今回の訪問時は天気が悪く少しでも雨が降れば訪問は中止するつもりだったのですが,何とか往復とも持ちこたえて無事に戻ることができたのは幸いでした。

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