旧5441金ノ弦岬灯台

 

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2017/10/16

【5441】金ノ弦岬灯台の歴史を辿ると,明治4年7月俎立標(当時の用語では礁標)としてかのブラントンの設計で関門海峡の浅瀬に建てられ,その後灯火が追加されて灯標(当時の用語で挂燈立標)となり,さらに大正9年現在地に移築されて灯台となりました。2000年6月8日消灯し2002年3月31日廃止となりましたが,下関市の有形文化財として保存されています。大概のサイトには「元は別の場所にあった立標を移設し」とあり,元の立標が何であったか明らかにされていないのですが,唯一「俎立標」であると断定しているサイトがあったので,それに従いました。なお『日本燈台史』には「わが国最初の立標は,明治4年7月完成した関門海峡にある與次兵衛,鳴瀬,俎の3立標で,いずれも石造であった」と書かれています。明治22年の『航路標識便覧表』には,「俎立標(昼標)」の項に,「着色:黒白横線」「石造圓錐形其頭球形ニシテ高サ二丈」とあり,この時点ではまだ灯火はありません。明治41年の『東洋燈台表』には,「俎挂燈立標」の項に「燈色:白/不動」「石造,圓形,黒塗」,初点は「明治廿三年」と記載されているのでこの初点年が立標から灯標になった年ではないかと思います。また大正12年の『東洋燈台表』には,「金ノ弦岬灯台」の項に「明暗 白/明3秒,暗3秒」「白塗圓形石造」そして初点灯は「大正9」と書かれています。移設されたとはいえ,これも立派な明治期灯台の一つ,ブラントン灯台の一つだろうと思うので,ぜひ末永く残してもらいたいものです。

2017/10/16

【5441】金ノ弦岬灯台は下関の彦島の南端に立っています。下関南霊園の駐車場から霊園の奥に進み,途中で左折して(上左),ちょっとした広場を突き抜けると金網のフェンスがあり網戸が開いていました(上右)。そこから階段を下っていくと(下左),すぐに灯台の塔頂部が見えてきます(下右)。

2017/10/16

黒塗りだったり白塗りだったりした塔灯の本体は今では花崗岩の地肌を見せて格別の重厚感を感じさせます。この日は天気が悪くてちょっと離れただけで靄がかかったような感じになり,ちょっと独特の雰囲気でした。白い塔頂部と灯ろうは残っていますが,灯器などは撤去されています。

対岸に見えているのは福岡県で【5439-5440】大瀬戸第2号導灯や【8407】関門海峡海上交通センターが見えています。

右に眼を転じると【5443-5444】大瀬戸第1号導灯(上)や【5527.21】関門航路第21号灯浮標(上,下左),【5527.19】関門航路第19号灯浮標(下右)なども見えました。赤い灯浮標もいくつか見えていたのですが,この天気では確認は無理でした。

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