4654御手洗港防波堤灯台

千砂子波止高灯籠

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2017/10/13

岡村島の観音埼というところに常夜灯があるというので大下島の帰りに寄ってみたところ,隣の島である大崎下島の【4654】御手洗港防波堤灯台とそのそばにある千砂子波止高灯籠が見渡せました。岡村島観音崎の常夜灯は昭和58年建立のものだったので,海運の目印として使われたものではないと思ったのですが,安芸灘とびしま海道連携推進協議会のホームページによると「観音崎周辺は急潮激浪で、古くから海の難所として往来の船舶は難儀を極め、夜間の帆船の航行を助けるため一人の僧によって常夜灯が築かれた。常夜燈は明治27年大下燈台が完成し廃灯となったが、昭和58年5月、西川政照氏らの寄進により、昔の危険な航行の象徴として115年ぶりに復元された」ということで,灯台と無縁というわけではないことが分かりました。

【4654】御手洗港防波堤灯台は石組みの防波堤の先にあります。下左は千砂子波止高灯籠とのツーショット。高灯籠の横の石橋を通って灯台まで接近することができました(下右)。高灯籠を模したデザイン灯台ですが,ちょっとやりすぎのような気がします。

灯台へのアプローチも石組みですが,千砂子波止時代のものではなく,今出来のような気がします。高灯籠を模してはいますが,灯器は火袋ではなく燈籠でいえば傘の部分に取り付けられているので,ちょっとした違和感が……。燈籠型といえば【6730】鵜戸埼灯台が有名ですが,どちらも同じような違和感があります。初点プレート(下右)によれば平成6年に改築されているのでその時こんな形になったのでしょうか。このプレートには下縁に揮毫者として旧豊田郡豊町の町長某の名前が刻まれていました。

左は防波堤灯台からみた高灯籠。基台の部分に「天保三年……」と刻まれています(右)。呉市のホームページには「『千砂子波止』は江戸時代後期に芸州藩が築いた防波堤で、当時の最高の技術が用いられ、中国無双と称えられました。/『高燈籠』は、『千砂子波止』の突端で灯台の役目を果たしてきました……」とあります。

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