2501舞阪灯台/2502浜名港口離岸導流堤灯台

北雁木渡船場跡の灯明台

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【2501】舞阪灯台再訪。驚いたことに前回は松林に覆われていた灯台がすっかりむき出しになっていました。灯台訪問者のためではなく松くい虫の被害だと思われるので喜んではいられませんが,灯台の写真は撮りやすくなりました。灯台のそばに1台分くらいの駐車スペースもできています。

『常夜灯・燈明堂等』の項に舞阪灯台の近くの「北雁木(きたがんげ)渡船場跡の灯明台」がリストアップされていた(自分でリストアップしたのだけれど今では出典が不明)ので「北雁木渡船場跡」を訪問するとそこ大きな常夜灯がありました(上段)。基壇には「荒井宿江海上一里半/北雁木常夜燈」とか「濱松宿江二里半拾二町……」とかの石板が埋め込まれているので,復元にしてもそれなりの史跡があったのだと思ったのですが,現地には「北雁木」の説明板はありますが,常夜燈,灯明台については何の言及もありません。調べてみたら,どうも「浜名湖開湖500年記念」で建てられたものらしく,このほかにも似たような常夜灯が二つ(下左は本雁木の入口付近にあったもの。もう一つは北雁木より北寄りの弁天橋の近くにありますがこれは未見)あります。明確な史跡や資料に基づいて建てられたものではない,なんちゃって常夜燈らしいということが分かりました。
浜名湖は1498(明応7)年の地震で今切が決壊,遠州灘とつながって汽水湖になり,東海道を下ると舞坂宿から海路今切の渡しを使って荒井宿へ渡ることになります。その舞阪側の船着場が北雁木ほか3か所あったそうですが,史跡がなくてもそこに何らかの常夜灯類が設置されていたとしても不思議はないし,1998年の開湖500年記念の際にも何らかの資料を参考にしたと思うのですが,その経緯や詳細は全くわかりませんでした。なお舞阪宿には古い常夜灯が3基あり,下左の常夜燈の対面の西町常夜灯(下右)には詳細な案内板がありましたが,これは火伏の秋葉信仰にもとづいて1813(文化10)年に建立されたもので,航路標識としての役目はなく,同様の仲町常夜灯,新町常夜灯が残されています。また舞坂宿には脇本陣が残っているほか,立派な松並木もあったりするし,今切の渡しの先の新居関とか,この付近は歴史好きには興味が尽きないのですが,その手の素養がないのが残念です。

以下は初回訪問時の【2501】舞阪灯台と【2502】浜名港口離岸導流堤灯台の記事です。

2012/11/05

2012/11/05

2012/11/05

国道1号(浜名バイパスを東に向かっていくと浜名大橋を渡ったところで正面に【2501】舞阪灯台が目に飛び込んできます(左上)。少し先でバイパスを降りて舞阪図書館(郷土資料館)まで回り込みこの付近に車をとめさせてもらいました。図書館の庭を突っ切ると松林の土手が遊歩道になっていて,すぐ灯台が見えてきます(左下)。灯台の高さもずいぶんと高い立派な灯台で,燈光会の周知板もありました(右の画像クリックで別窓拡大表示します。右側の井桁は,灯台名を大きく書いた案内板が撤去された残骸でしょうか)。
松林のなかで灯台全体の姿が見える場所は限られるので,左下のような写真ばかりになってしまいました。

2012/11/05

2012/11/05

初点プレートと塔頂部。灯台の下からでは灯器は見えず,少し離れると松林にさえぎられてしまいます。

2012/11/05

2012/11/05

遊歩道の西の端まで進むと,国道のバイパスをくぐるトンネルがありました(左)。ここをくぐると遠州灘ががーんと広がる砂浜で,右の方に,【2502】浜名港口離岸導流堤灯台が見えています。

2012/11/05

2012/11/05

ただし導流堤灯台までは砂浜をかなり歩いてさらにテトラポッドを辿らねばなりません(上)。振り返ると,国道のバイパス越しに,舞阪灯台が松林の上に上半身を突き出していました(下)。この灯台はこの位置から見るのが一番かっこいいかもしれません。

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