1801塩屋埼灯台/1801.5豊間港沖南防波堤灯台

 

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念願の【1801】塩屋埼灯台再訪。前回訪問時(下記参照)の曇天と打って変わって青い空,青い海をバックに白亜の灯台です。前回と同じポジション,同じ構図ながら,何枚も何枚も写真を撮ってしまいました。

気が付けば前回訪問からもう4年が経ってしまいました。同じような写真ばかりですが,前回のものと見比べるとその印象の違いが際立ちます。

【1801】灯台の入口に分銅を上下させていた分銅筒の内部を覗くことができるようになっています。その上部に「灯台カードデジタル」の案内もありました(上左)。塔頂まで登ってみると,前回レンズを覗くことができた覗き穴が紐でふさがれていました(上右)。何か不都合があったんでしょうか。参観灯台や一般公開でいつも残念なのは黒い簀の子のような鉄の構造物で,何とかもう少しレンズが見えるようにしてもらいたいものです。バルコニーに出てみると【1800.7】豊間港沼之内沖防波堤灯台と【1801.5】豊間港沖南防波堤灯台の見え方も前回とは比べ物になりません。ただし豊間港沖南防波堤灯台の右側で白く波が立っているところには壊れた防波堤が海面下に見えています。震災後8年が経ち,周辺の海岸道路などはずいぶん整備されたものの,やはりそこここに震災の痕跡は残っています。

灯台の入口付近の手摺りから見た【1801.5】豊間港沖南防波堤灯台。前回重機が動いていて瓦礫もたくさん積まれていた港はすっかりきれいになったようなので帰りにちょっと寄ってみました。

すっかりきれいになった豊間港(上)。塩屋埼灯台の下のメロンの皮も新しい部分と古い部分が見分けにくくなってきました(下左)。【1801.5】豊間港沖南防波堤灯台も前回と変わらず,違うのは海の色です。

以下,初回訪問時の記事です。

2015/06/12

【1801】塩屋埼灯台。東日本大震災で被害を受け長らく参観が中止されていましたが,2014年2月25日に参観が再開されました。ほぼ3年ぶりということで,被害の大きさが推測されます。あいにくの曇り空でバックが映えませんが,青空と青い海をバックにしたら,さぞやかし素晴らしい姿だったことでしょう。

2015/06/12

2015/06/12

2015/06/12

灯台の真下は「雲雀之苑」と名付けられた観光地で美空ひばりが「塩屋の岬」を謳い上げた「みだれ髪」の歌碑が建っていて,歌碑の右隣に立つ遺影碑に近づくと例によって大音声で「みだれ髪」が流れ出すという趣向です。年間何十万という観光客が訪れるということでフリーの駐車場が整備されていています。道路の向かいには大型バスの駐車場もあり,そこについた観光バスから団体さんが押し寄せてきたのでどうなることかと思っていたら,さすがに団体バス旅行のグループは灯台に登ろうなどとは思わないようで,灯台をバックに「みだれ髪」の歌碑という定番の構図(上左)で写真を撮って引き上げていきました。
そんな観光地ですから,案内板は至れり尽くせりで登り口の左には灯台MUSEUM(資料展示室)の案内(曰く「灯火まであと190メートル、消費カロリー約90キロカロリー」),右側にはこげ茶のシックな灯台案内,階段を少し登ったところにはいつもの燈光会の周知板,と思ったら参観の案内でした(上右の画像クリックで別窓拡大表示)。その右側には「喜びも悲しみも幾歳月」の歌碑も立っています。この歌で有名な映画のもとになっている灯台職員夫妻の手記が,この灯台に勤務時代に発表されたものだというのは知りませんでした。
いつもの周知板は5〜6分登った門の中にあり(下右,下左の画像クリックで別窓拡大表示),最新型の縦長で上辺が波型になったものでした。

2015/06/12

2015/06/12

正門から灯台は少し離れているので,灯器の大きなレンズがよく見えます(上左)。塩屋埼灯台MUSEUMと書かれた建物が受付/資料展示室で青森平館灯台で使用されていた4等レンズ(塩谷埼灯台は3等レンズ)などが展示されていますが(上右),震災の影響か,展示は他の参観灯台に比べて少なめでした。階段室が広く階段も一段一段が低いので(下左),展望台まで登るのは比較的楽でした。灯器は階段室からはあまりよく見えません(下右)。回転装置も見えるのですが暗くてよく分かりませんでした。

展望台からの眺めです。上左は併設されていた【9045.01】塩谷埼無線方位信号所(2008年5月廃止)。上右は目の下に見える豊間漁港。塩谷埼灯台の直前に訪れた港です。震災の復旧工事が進められていますが,漁業が復興するのはいつのことになるのでしょうか。港の外側に【1801.5】豊間港沖南防波堤灯台が見えています(下左右)。

豊間漁港から見た【1801】塩屋埼灯台。典型的な岬の灯台の姿ですが,震災後補強されたメロンの皮のようなコンクリートの網目が痛々しく写ります。ここから見上げるとレンズがちょうど正面でした(下右)。

【1801.5】豊間港沖南防波堤灯台は沖合にある一文字防波堤の先に立っています(上,下左)。下右は漁港の内側の防波堤の先に立っていた小さな航路標識で灯台表には記載されていません。真新しく見えるので,震災で被災し新しく設置しなおしたものかもしれません。

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