花の名前 蓋の模様 灯台の形 彼方より 彼方へ

1102福浦港導灯(前灯)/1103福浦港導灯(後灯)

旧福浦灯台

 前の灯台    ホーム  灯台の形 / 石川県  いつかの灯台  下へ   次の灯台 

2009/05/30

2009/05/30

旧福浦灯台。石碑には「日本燈台濫觴之地」と記してあります。濫觴(らんしょう)とは広辞苑によれば「揚子江も水源にさかのぼれば、觴(さかずき)を濫(う)かべるほどの小川である意)物の始まり。物事の起原。おこり。もと」とのこと。右の志賀町の案内板には「KYUUFUKUURA TOUDAI」と書かれているので,すっかり「ふくうら」だと思い込んでいたのですが,「ふくら」と読むのが正しいようです。

2018/09/20

2018/09/20

2018/09/20

2018/09/20

旧福浦灯台再訪。前回は民家の間を抜けて簡単に辿り着いたと記憶しているのですが,要所要所に道案内があるので(上左)迷いようがないものの,今回は整備された観光駐車場から崖の上の畑の中を大回りするような観光客用のルートが整備されたようで(上右),結構遠く感じました。下左は初回訪問時志賀町の案内板が立っていた位置ですが,その案内板は撤去されていました(KYUUFUKUURAがまずかったのかな)。下右は前回撮った「日本燈台濫觴之地」の碑でその横には明治11年「岩倉右大臣」が「石川縣平民日野吉三郎」に代々灯台を守りさらに明治9年の新灯台建設に尽力したことに対し「羽二重壹匹下賜」したことが記されています。この写真の左側に新しい大きな案内板(下右の画像クリックで別窓表示)が設置されていてそれには慶長年間から篝火が焚かれ,元禄年間に灯明堂になったこと,現在残っている灯台は明治9年に建造,昭和27年に新灯台ができるまで点灯していた,「日本で一番古い木造灯台」と謳っています。しかし「東洋燈台表上巻(明治41年調査)」(1908年)を見ると「地方:能登/燈台通號:福浦/設置之地:福浦港口/北緯:37 5/東経:136 43/燈数:1/燈色:白/燈質:不動/晴天光達浬数:5/燈台形質:木造四角形白塗/高潮上燈火之高呎:79/礎上燈火之高呎:22/初點之年:明治38年……」と記載されているので,明治9年に新しく建てられたのちも灯明堂の扱いで,明治38年に正式な灯台になり,さらに昭和27年少し離れた場所に建設された新灯台に任務を引き継いだものと思われます。この辺の経緯がどこにも案内されていないのは,ちょっと残念です。似たような歴史を持つ旧稲取灯台を直前に訪れたのですが,こちらはその辺の経緯がよくわかりました。

2018/09/20

2018/09/20

2018/09/20

海側から見た旧福浦灯台(上左)と窓の部分(上右)。この写真ではわかりませんが,横の窓から見てみるとなにがしかの灯器が入っていることが分かります(下)。この灯器が入った時が初点の日かもしれません。

2018/09/20

旧灯台から福浦港を見下ろすと,【1102】福浦港導灯(前灯)と【1103】福浦港導灯(後灯)が揃って見えました。実は前回訪問時,後灯が見えず,前灯を【1101】福浦灯台と思い込んでいました。灯台を巡り始めたばかりのころの恥ずかしい間違いです。

2018/09/20

2018/09/20

2018/09/20

2018/09/20

福浦港に下りて【1102】福浦港導灯(前灯)と【1103】福浦港導灯(後灯)を訪ねました。前灯は港の入り口付近に(上左,下左)見えていて,根元に釣り人の姿が見え,右の方から回り込めば到達できるようです。後灯は港を背に振り返ると民家の裏山にその姿を認めることができました(上右,下右)。左の方にこの丘に登っていく坂道が見えたので少し登ってみたのですが,別の民家に入っていくように見えたので到達は諦めて引き返しました。

 前の灯台    ホーム  灯台の形 / 石川県  いつかの灯台  上へ   次の灯台